東大曲小学校

富樫氏の歴史


1.鎌倉時代の富樫氏(12代 泰家)

 1182年、木曽義仲・平氏・討伐の挙兵に応じ平維盛(これもり)の率いる十万の大軍と対陣。
 倶利伽羅(くりから)峠において炎々に燃えさかるタイマツを
 巨牛の角に結びつけて敵陣に追いやり夜襲をかけて大勝。
 その後、義仲が頼朝に討たれたので富樫泰家は野々市にて謹慎(きんしん)。
 頼朝にゆるされて加賀国の守護に任ぜられる。
 
 1187年、兄頼朝の誤解から追われていた源義経一行を
 安宅関(あたかのせき)に迎えた泰家は、
 武士の情と弁慶の読み上げる「勧進帳」に関心して義経一行を無事に通過させた。
 そのことによって、頼朝の怒りにふれて位をとらられて泰家は頭をそり、
 名前を仏誓と改め奥州平泉(今の岩手県)に至り義経と涙の対面をする。
 その後、しばらくこの地にとどまり、後に野々市に帰り一生を終える。


2.室町時代の富樫氏(17代 高家)

 1333年、足利尊氏につき国を治め1351年京都において戦死。
 1352年富樫誠白神宮寺に来る。


3.安土・桃山時代の富樫氏(24代 政親)

 一向宗の本願寺派門徒が政親を、高田専修寺派が弟幸千代の味方をして争いが起こり、
 政親が勝って加賀の国守護職を手中におさめた。

 その後、一向宗が力をもち年貢をおさめず、従わなかったので、政親は弾圧をはじめた。
 闘は大きくなり1488年農民の連合軍の総攻撃にあい34歳で自殺した。