大仙市立西仙北東中学校
 学校通信 
2012.3.28 
No.43

 
1年間お読み下さり     ありがとうございました
 
 平成23年度は,地域の皆様のご協力により,西仙北地区の方々に,月に1回,1ヶ月分をまとめて,各ご家庭に,学校通信をお届けして参りました。1年間,おつきあい下さり,誠にありがとうございました。
 学校評議員会の際に,町内在住の評議員の方から,「学校通信を読んで,中学校の出来事がよく分かる」「中学校が身近になっている」などのお言葉をいただき,とても嬉しく思いました。
 また,今年度は閉校の年にあたり,何をするにも「統合」「閉校」という文言が常に頭にありました。皆さんからも,このことについては様々な感想や,進捗(しんちょく)状況についてもっと詳細に,などのご助言をいただきました。静かに堂々と西仙北東中学校を閉じることができるのも,地域の皆様のおかげと感謝いたします。
 さて,教職員の人事異動について,19日に内示,3月24日に新聞発表がありましたので,新しい学校ー西仙北中学校の職員と東中学校から他校に異動する皆様を紹介いたします。
 
☆ 大仙市立西仙北中学校へ異動 ( )は前所属
校  長 佐藤 心一(西仙北東中)
教  頭 齊藤由紀雄(西仙北西中)
主任主査 橋  保(西仙北東中)
養護教諭 今田美保子(西仙北西中)
教  諭 古屋 英美(西仙北東中)
教  諭 齋藤 佳子(西仙北東中)
教  諭 藤澤 和弘(西仙北東中)
教  諭 今野 悦子(西仙北西中)
教  諭 高田 和俊(大曲中)
教  諭 坂本 晋平(西仙北東中)
教  諭 渡邉真理子(西仙北東中)
教  諭 新山  滴(豊成中)
教  諭 村田 文子(西仙北東中)
教  諭 芳谷由佳子(生保内中)
教  諭 田村 尚之(西仙北西中,専門監)
教  諭 杉山  剛(西仙北東中)
教  諭 小野由紀子(西仙北東中)
教  諭 後松 静香(西仙北西中)
教  諭 橋 悠葵(西仙北西中)
教  諭 佐々木慎太朗(東大曲小)
非常勤講師 菅原 可愛(太田中)
  技 能 員 鈴木 俊宣(西仙北西中)
  校務補助 佐藤  薫(西仙北西中)
  心の教室 佐藤のり子(西仙北東中)
A L T ローリーマクファーソン
☆ 大仙市立西仙北東中学校から他校へ異動
教  頭 須田百合子(大仙市教育委員会へ)
養護教諭 高橋 真澄(協和中へ)
教  諭 石川 真一(豊成中へ)
教  諭 長沼  実(豊成中へ)
臨時講師 畠山 宏美(千葉県四街道西中へ)
技 能 員 佐々木正信(神岡小へ)
校務補助 佐々木靖子(中仙中へ)
事務補助 大河 孝子(四ツ屋小へ)
☆ ご退職
  高橋星子教諭が,この3月31日で退職されます。高橋教諭は家庭科の教員として30年間小・中学校に奉職されました。本校勤務は1年間でしたが,統合の年にふさわしく,西中学校へは毎週水曜日に,他の日は東中学校でという両校の家庭科を一手に授業していただきました。本校では,1年部に所属し,宿泊体験など,いつも1年生と一緒の活動でご指導されてきました。西中学校にも奉職したことがあり,思い出の両校で勤務し,退職することができて,とても嬉しかったとお話しされました。高橋教諭のこれからの人生に幸多きことを祈念いたします。
 
西仙北東西交流レク開催
 
 3月15日に東中学校に,西中学校の1・2年生39名と東中学校の98名が一堂に会し,東西交流レクリエーションを行いました。
 第1部「はじまりの会」では,来年度の両校の生徒会役員や専門委員長が自己紹介を行いました。それぞれが個性的なあいさつをしました。 次に「サイン交換しましょう」という活動をしました。サインをするための色紙を生徒一人一人が持ち,それにサインをもらいます。最初は,西と東の生徒が照れや恥ずかしさもあったのでしょうか,なかなかお互いにサインをする場面が無かったのですが,「男女5人以内でサインをしましょう」と執行部が呼びかけると,次第に気持ちがほぐれていき,西,東ともにまぶれてサインをすることができました。
 第2部の「長縄大会の部」では,1年生が最初あまりできなかったのですが,15分ほどの練習時間を経ると上手にできるようになりました。1回目に26回,2回目に24回で計50回を跳ぶことができた2年生が優勝しました。
 第3部の「ゾロって5」は,各班の代表5人が前のイスに出てきて,ある言葉を投げかけられたらそれから連想する言葉をラミネート板に書きます。5人の中で同じ人をイメージした人数を10倍する,というゲームです。問題は「AKBと言えば?」「嵐と言えば?」「今年度活躍したサッカー選手といえば?」「ドラえもんと言えば?」などでした。ここでも2年生の白組が優勝しました。
 給食を各学級でとり,午後からは西仙北中学校の校歌練習でした。初めての合同練習でしたが,声量はとても大きかったです。そして,よく覚えていました。練習の終わり頃になって,2番までを1回,1番までを1回録音しました。1番バージョンは,野球の大会やその他の大会で,西仙北中学校の校歌が流れる際に利用されます。録音が終わってから,その斉唱を全員で聞きました。とてもよく録音されていました。自然に生徒の間から拍手がわき上がりました。そして,今度は歌詞を見ないで,全員で2番まで歌いました。どの生徒も歌うことができました。藤澤先生からは「きっと,作曲した先生も喜ぶ事でしょう」とお話がありました。始業式,入学式,開校式で,堂々と歌う生徒の姿が,今から頼もしく想像できます。
 最後は,西中の生徒と東中の生徒が同じ班になり,それぞれの場所に分かれ,清掃活動をしました。校長室も西中の男子生徒1名と東中の女子生徒1名が,てきぱきと動き,隅々まできれいにしてくれました。
 4月4日に西仙北中学校の1期生,2期生として再び会い,今度は西仙北地区の中学校の生徒として,大活躍してくれることを期待します。
 
 
最後の修了式
 
 3月21日に本校最後の修了式を行いました。1年生は鈴木優喜さん,2年生は伊藤大河さんから学年代表の発表がありました。私からは,苦難を乗り越えて目標をもちながら,人生に積極的に取り組んでいる生徒がこの秋田県にいるということを,全国中学生人権作文コンテストから紹介しました。その生徒の作文を紹介します。

   水泳が僕に教えてくれたこと

                       秋田県・大館市立成章中学校    
                                  三年 奈良 光樹(なら こうき)

 「彼は伸びるよ。」高校生以下の障害者の水泳大会に出たときに、パラリンピックに出た選手に言われた言葉です。これを聞いたとき、僕はうれしくてたまりませんでした。苦しみながら続けた水泳。悔しさの連続だった水泳。その水泳が、今は僕に力をくれるのです。
 僕は生まれたときから両手がありません。そのため僕の両親は、身体も小さくて弱かった僕を「少しでも強くなってほしい。」という思いで水泳を始めさせました。それは宮本圭さんという僕と同じ障害を持ちながらも、パラリンピックに出場した選手がいたからです。宮本さんは両手がないのに、パソコンでメールをしたり、車を運転したり、足を手の代わりに使って普通の人と同じような生活をしていました。僕が小さいときに僕の家に来て、どういう風にお風呂に入るか、物を持つかなど、自分でできることは自分でするように、店での会計など人の手を借りないといけないことは助けてもらうなどを教えてくれたそうです。その宮本さんもしていた水泳を、僕は三歳で始めました。最初は母と一緒にプールに入って、水につかる練習から始めました。小学校一年生でようやく二十五メートル泳げるようになりました。そして四年生で初めて出た市の大会では、同じ学年の子と一緒のコースで泳ぎました。しかし結果は他の子がゴールしたときに、まだ半分くらいのところを泳いでいて、かなり差をつけられてしまいました。でも、「しようがない、くやしくない。だってみんなは手があるし。」と思っていました。手がある相手に負けても悔しいとは思えなかったのです。でも泳ぐこと以外で悔しかったこと、嫌だったことはたくさんありました。水泳は上半身に何も着ないので、両腕がないことをさらけ出さないといけません。そんな僕に「何で手がないの。」と、小学生は無邪気にしつこく聞いてきます。自分だってわからない。聞かないでほしい。そう思って、何も言いませんでした。
 しかしそんな悔しい思いをしても水泳をやめようとは思いませんでした。確かに友だちと遊びたかったし、他にスキーや陸上にも取り組んでいて,僕の生活は大変でした。そんな僕に母は「やめるのはすぐできる。でも続けていくのが大事。また始めようと思っても、同じようにできるまで大変だよ。」と繰り返し繰り返し言ってくれました。そんな母の励ましがあったからこそ今のように、自分でできることが増えてきたのだと思います。足でご飯を食べること、足で文字を書くこと、そして何でも挑戦して、嫌になつても水泳を続けることができたのだと思います。
 続けることで僕は、次第に障害をもった人の大会では手のある人に勝つようになりました。実は同級生の友だちにも水泳で勝つことがあります。「人に負けたくない。自分は自分なりに。」やがて僕はそんな気持ちを持つようになりました。しかし両手がない僕は全てのことをみんなに勝ちたい、同じようにしようと思ってもできることとできないことがあります。それをサポートしてくれる人がいるから、毎日みんなと生活できています。親やコーチ、そして友人の協力なくては生活できません。着替えなどの手伝いや、移動教室のときに物を持ってくれたり、僕が生活しやすいように自然にサポートしてくれるみんなにいつも感謝しています。水泳のコーチも両腕がない人を育てたことがなかったから、最初はきっと手探り状態だったけれど、僕が泳げるように一生懸命指導してくれました。水泳をやって、たくさんの人と出会い、嬉しいことも悔しいこともたくさんありました。けれど水泳だけは負けたくないという気持ちで頑張っています。
 僕は今年の十月に水泳の全国大会に出場します。全国大会へ出場し、ジャパンパラリンピックヘ出ることが目標です。そして最終的には,2016年リオデジャネイロで行われるパラリンピックを目指しています。
 今もたまに両腕がないことでばかにされます。しかし、今の僕は小学生のときの僕より自分に自信を持っているので、相手の話を受け流せるようになりました。
 今、僕は同じ両腕がない障害をもつ子と連絡を取り合っています。人伝えに聞いたのですが、彼は僕を目標としていてくれるようです。僕が宮本さんを目指したように、僕を目指してくれる人がいます。何だか照れくさいけれど、もっと頑張らなくてはいけないと思います。彼が僕を目指してよかった、と思ってくれるような水泳を泳ぎ続けたいのです。
 自分に自信を持つここと、努力すればするほど成果は出ること、続けることの大切さ、周りの協力のありがたさ・・・水泳は僕にたくさんのことを教えてくれました。そして、水泳は僕を強くしてくれました。嫌な思い出もあるけれど、それも含めて僕は水泳が好きです。大事なことをたくさん教えてくれた水泳を、これからもずっと続けていきたいと思います。