大仙市立西仙北東中学校
 学校通信 
2012.3.16 
No.42

 
水曜日朝集会 西仙北中学校 校歌練習
 
 
 今年最後の朝集会が3月14日にありました。
最後の集会では,4月1日から西仙北中学校になり,そのため新しい校歌の練習をしました。この時点で,2年B組だけがまだ音楽の時間で校歌の練習をしておりませんでしたが,他の1・2年生は,藤澤先生のピアノに合わせて,ほぼ歌うことができていました。
 大仙市広報3月1日号に西仙北中学校の校歌と校章が紹介されましたが,再度紹介したいと思います。
 
西仙北中学校 校 歌
 
作詞 佐々木 正吉 
補作 菅 原  瞳
作曲 後 藤  洋
 
一 鳥海山 仰ぎみる
  立志の丘に 風清く
  共に学ぼう 希望を胸に
  われらの夢が 咲くように
  生き抜く力 はぐくもう
  ああ 西仙北 中学校
     心の大地
二 雄物川 洋洋と
  大地潤し 野を拓く
  共に語ろう 絆を胸に
  われらの夢が 咲くように
  未来に向かい はばたこう
  ああ 西仙北 中学校
     心の泉
 
 歌詞は一般応募で「優秀」となった佐々木正吉 さん(刈和野在住)の作品をベースに,魁新聞読者文芸短歌選者の菅原瞳さん(刈和野在住)が補作しました。
 作曲は吹奏楽の作曲・編曲で世界的に活躍されている後藤洋さん(大曲出身)がしました。
 始業式,開校式で校歌を声高らかに歌いたいものです。
 
校章

作者は,今井弘子さん(元中学校美術教諭)です。西仙北の「西」の文字から「N」を図案化しました。二つの学校が新しい一つの学校となる「New」の「N」もイメージしています。
  
 
 
スプレーアート,小玉倫也氏の作品に感動のため息が         
 
 3月14日午後に芸術家小玉倫也氏によるのスプレーアート実演が,本校体育館で行われました。
 小玉氏は,東北女子短期大学保育科(定員女子90名,男子10名)を卒業後,青森市内で保育士として3年間働きました。2010年にデザインの自社ブランドを作りたいと,退職し,秋田公立美術工芸短期大学に入学,今年の3月に卒業しました。秋田市のフォーラスに「ゴマハウス」の展示ブースを開きました。スプレーアートは,デザインの勉強をしているときに,アメリカ人の路上アーティストから手ほどきを受け,その後興味関心が高まり,練習に練習を重ね,現在のようになったということでした。
 本校実演での小玉氏のテーマは「はばたき」でした。青森のじょんがら節の三味線音楽に合わせてイメージした絵をわずか20分間で完成させました。この音楽も小玉氏自身が20分になるようにいろんな曲を組み合わせて編集したそうです。だから,曲が流れることで,大体の時間を把握できるそうです。
 生徒達は小玉氏が,すばやく描いていく絵に釘付けになり,完成とともに盛大な拍手をおくりました。
完成した絵は,玄関前に飾ってありますのでどうぞご覧下さい。
 実演が終わってからいよいよ,生徒による実演です。生徒代表は,1年生からA組伊藤春菜さん,B組渡辺旬さん,2年生は,A組進藤愛可さん,B組佐々木勇人さんの4人でした。
 4人は,小玉氏からスプレーの使い方,いろんな円を描く物(紙コップ,レコード,CD,おはじきなど)の使い方を学び,それらを思い思いに描きました。見ている生徒達からは,制作の途中で,代表者が円を描くと歓声があがり,スプレーをかけるとまたどよめきがあがり,と制作者と参観の生徒が一体となっていました。






 












最後に,2年生の橋大良さんから,「初めてのスプレーアート実演で,幻想的な世界に感動しました。」とお礼の言葉がありました。
 

  第31回 全国中学生 人権作文コンテスト入賞作文集から
 
 法務省人権擁護局・全国人権擁護委員連合会主催の標記作文集が届きました。その中から「法務大臣政務官賞」を受賞した生徒の作文を転載します。いじめについて深く考えさせられた作文です。
   

「いじめのスパイラル」
          
          山口県・周南市立秋月中学校 三年

         花田 祥代(はなだ さちよ)

 「ただいま」と私は元気に家に帰りました。リビングに入ると母は私に「今日は元気だね。」と言いました。母はいつも私の「ただいま」の声のトーンでその日学校で何があったかを察しているようです。私の声に元気がないと「学校で何かあったん?」と心配してくれます。
 その日、私が学校から帰り、リビングのソファーに座ってテレビを見ていると、いじめに関するニュースをやっていました。すると母が独り言のように「あの頃は大変やったね。」とつぶやきました。私も目をつぶり苦しかった「あの頃」を思い出しました。
 中学校一年生の頃の私はいじめなんて自分に関係ないと思っていました。私は運動部に所属し、その中で一年生はグループに分かれることはあっても自分一人になることはありませんでした。だから私は安心しきっていました。
 ところが,私は急に一人ぼっちになり始めたのです。自分では,なぜそうなるのか分かりませんでした。離れていく友達に焦りと不安を感じながら、必死にみんなについていきました。でも、日が経つにつれて友達は完全に私から離れていき、私は一人ぼっちになりました。いじめは、部活動中だけでなく日常生活にも広がっていきました。でも家族にはこのことを一切話しませんでした。心配をかけたくなかったのと、自分のこんな情けない姿を見せたくなかったからです。辛かったけど、クラスの友達がいつも一緒にいてくれたので何とかまだ耐えられました。いつも笑顔で明るいふりをして、誰も見ていないところで泣く、そんな学校生活を送っていました。
 そんなある日、学校で生活アンケートがありました。その中にいじめに関する項目があり、私はその質問を読んでしばらく考えました。迷ったあげく、限界を感じていた私は全て正直に応えました。その日私は家に帰って両親にも正直に話しました。私が泣きながら話すと、父も母も「よく頑張ったね。」と泣きながら私の背中をなでてくれました。部活の先輩にも相談したら、先輩は黙って私の話を聞いて下さり、その日からいつも私の帰りを待って一緒に帰って下さいました。そして部活中にも「さっちゃんおいで。」と声をかけて下さいました。先生も家に来て話を聞いて下さいました。たくさんの人が私の話を聞いてくれ、言葉をかけて下さいました。真っ暗だっ私の心は少しずつ明るさを取り戻していきました。
 その後、部活の一年生は全員図書室に集められ、一人ずつ別の部屋で先生と一対一の話し合いが行われました。そして私も呼ばれ、先生と話しました。そこで私は驚くべきことを知りました。ある子が小学生の頃私に嫌なことを言われ、とても傷ついたそうです。それが今回のいじめにつながったと泣きながら話してくれたというのです。私はそのことを全く覚えていませんでした。「傷つけた方は覚えていなくても傷つけられた方はいつまでも心の傷は残る」まさに私たちのことだと思いました。私はその子に申し訳ない気持ちで一杯になりました。
 全員の保護者も交えての話し合いの後、私へのいじめはなくなり、少しずつ前の仲のよい関係に戻っていきました。私が傷つけたあの子とは、互いに泣きながら謝り、今では心から信頼し合える関係になっています。
 あのときはとても辛く苦しかったのですが、私はこの体験を通してたくさんのことを学びました。その中でも二つのことが特に心に残っています。
 一つ目はいじめられた人の気持ちです。いじめている人はいじめられている人の気持ちをわかっていません。だから私もいじめられている時は、いじめている人が反対にいじめられたらいいのにとか、仕返しをしてやるとか思っていました。でも憎しみはまた新たな憎しみを生むだけです。どこかでそれを断ち切らなければずっと続いていくのです。せっかく辛い思いをして学んだことなのでそれを生かそうと思いました。それから私は一人ぼっちの子がいたら話しかけたり、相談に乗ったりするよう心がけています。また、いつも相手の気持ちを考えるよう努力しています。
 二つ目は自分はたくさんの人に支えられているということです。あの頃の私は両親や先生、先輩やクラスの友達が支えてくれたおかげで、いじめという壁を乗り越えることができました。今があるのはみんなのおかげだと感謝しています。人は一人では生きていけない、支え合いながら生きているのだと実感しました。今度は私が誰かを支えていけたらと思っています。
 ふと目を開けると母は微笑みながら私を見つめていました。そして,「でも,さっちゃんはそのおかげで強くなった。」と言いました。私は母の言葉に「うん。」と力強くうなずきました。私はもう偽りの笑顔や元気なふりはしません。まっすぐ前を向いて生きていきます。