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「いじめのスパイラル」 山口県・周南市立秋月中学校 三年 花田 祥代(はなだ さちよ) 「ただいま」と私は元気に家に帰りました。リビングに入ると母は私に「今日は元気だね。」と言いました。母はいつも私の「ただいま」の声のトーンでその日学校で何があったかを察しているようです。私の声に元気がないと「学校で何かあったん?」と心配してくれます。 その日、私が学校から帰り、リビングのソファーに座ってテレビを見ていると、いじめに関するニュースをやっていました。すると母が独り言のように「あの頃は大変やったね。」とつぶやきました。私も目をつぶり苦しかった「あの頃」を思い出しました。 中学校一年生の頃の私はいじめなんて自分に関係ないと思っていました。私は運動部に所属し、その中で一年生はグループに分かれることはあっても自分一人になることはありませんでした。だから私は安心しきっていました。 ところが,私は急に一人ぼっちになり始めたのです。自分では,なぜそうなるのか分かりませんでした。離れていく友達に焦りと不安を感じながら、必死にみんなについていきました。でも、日が経つにつれて友達は完全に私から離れていき、私は一人ぼっちになりました。いじめは、部活動中だけでなく日常生活にも広がっていきました。でも家族にはこのことを一切話しませんでした。心配をかけたくなかったのと、自分のこんな情けない姿を見せたくなかったからです。辛かったけど、クラスの友達がいつも一緒にいてくれたので何とかまだ耐えられました。いつも笑顔で明るいふりをして、誰も見ていないところで泣く、そんな学校生活を送っていました。 そんなある日、学校で生活アンケートがありました。その中にいじめに関する項目があり、私はその質問を読んでしばらく考えました。迷ったあげく、限界を感じていた私は全て正直に応えました。その日私は家に帰って両親にも正直に話しました。私が泣きながら話すと、父も母も「よく頑張ったね。」と泣きながら私の背中をなでてくれました。部活の先輩にも相談したら、先輩は黙って私の話を聞いて下さり、その日からいつも私の帰りを待って一緒に帰って下さいました。そして部活中にも「さっちゃんおいで。」と声をかけて下さいました。先生も家に来て話を聞いて下さいました。たくさんの人が私の話を聞いてくれ、言葉をかけて下さいました。真っ暗だっ私の心は少しずつ明るさを取り戻していきました。 その後、部活の一年生は全員図書室に集められ、一人ずつ別の部屋で先生と一対一の話し合いが行われました。そして私も呼ばれ、先生と話しました。そこで私は驚くべきことを知りました。ある子が小学生の頃私に嫌なことを言われ、とても傷ついたそうです。それが今回のいじめにつながったと泣きながら話してくれたというのです。私はそのことを全く覚えていませんでした。「傷つけた方は覚えていなくても傷つけられた方はいつまでも心の傷は残る」まさに私たちのことだと思いました。私はその子に申し訳ない気持ちで一杯になりました。 全員の保護者も交えての話し合いの後、私へのいじめはなくなり、少しずつ前の仲のよい関係に戻っていきました。私が傷つけたあの子とは、互いに泣きながら謝り、今では心から信頼し合える関係になっています。 あのときはとても辛く苦しかったのですが、私はこの体験を通してたくさんのことを学びました。その中でも二つのことが特に心に残っています。 一つ目はいじめられた人の気持ちです。いじめている人はいじめられている人の気持ちをわかっていません。だから私もいじめられている時は、いじめている人が反対にいじめられたらいいのにとか、仕返しをしてやるとか思っていました。でも憎しみはまた新たな憎しみを生むだけです。どこかでそれを断ち切らなければずっと続いていくのです。せっかく辛い思いをして学んだことなのでそれを生かそうと思いました。それから私は一人ぼっちの子がいたら話しかけたり、相談に乗ったりするよう心がけています。また、いつも相手の気持ちを考えるよう努力しています。 二つ目は自分はたくさんの人に支えられているということです。あの頃の私は両親や先生、先輩やクラスの友達が支えてくれたおかげで、いじめという壁を乗り越えることができました。今があるのはみんなのおかげだと感謝しています。人は一人では生きていけない、支え合いながら生きているのだと実感しました。今度は私が誰かを支えていけたらと思っています。 ふと目を開けると母は微笑みながら私を見つめていました。そして,「でも,さっちゃんはそのおかげで強くなった。」と言いました。私は母の言葉に「うん。」と力強くうなずきました。私はもう偽りの笑顔や元気なふりはしません。まっすぐ前を向いて生きていきます。 |