大仙市立西仙北東中学校
 学校通信 
2011.9.15 
No.19

 
新人戦 壮行会
 
 9月8日(木)に大曲仙北中学校総合体育大会新人戦の壮行会を開催しました。
 今回は,野球の大会が9月11日,17日,18日と2週間に渡るため,会が早まりました。新人らしく,初々しい姿が印象的でした。
 私は,彼らに,「伝統とはよき伝統を引き継ぐことである」と「チームワークをよくすること」の2点についてお話ししました。
 そして,これまで応援で奮闘してくれた3年生の応援団に感謝の言葉を述べました。これが最後になった3年生応援団幹部本当にありがとうございました。皆さんの伝統は,次の2年生,1年生にきっと引き継がれていくことと思います。


















































































































 
 
新人戦 野球惜敗
 
 新人戦のトップを切って,野球が行われました。結果は次の通りです。
 
◎ 野球 新人戦 (9月11日角館中学校)
 1回戦 西仙北東2−4太田
 
 4回までは,主戦佐藤亮太の球が相手打者の打ちにくいところに決まり,また,相手投手から本校打線が単打に終わり0−0で来ました。5回の表,太田中攻撃で,ノーアウト2塁で,相手がピッチャー前のぼてぼてのゴロ。それをピッチャー佐藤が取ってすぐさま3塁に投げたものの,間一髪でセーフ。その後,スクイズを決められ,2点先取されました。6回表にも2点取られ,0−4で迎えた6回裏,佐々木響がこの日2本目のヒットを放ち,攻勢に出て,連続ヒットで1点。更に,相手ミスで1点を追加しました。
 7回表の守り,3塁鈴木理公と投手佐藤亮太がメンバーチェンジし,鈴木は0点に抑えました。
 その裏最終回,本校の攻撃,大信田巧馬がセンター前にヒット。反撃の火ぶたを切ったかに見えましたが,後続が抑えられてゲームセットとなりました。
 本校の得点は,ヒット絡みで,相手校の得点は本校のエラーからでした。
 
 本校野球部は,9月24日(土)に西仙北東中学校招待試合を控えています。この招待試合では,西仙北西中学校の野球部と合同での出場となります。新人戦は終わりましたが,是非,この大会で新人戦の課題を克服してほしいと思います。
 
  平成23年度 大曲仙北英語暗唱弁論大会
 
 9月13日,標記大会が仙南公民館で開催されました。本校からは,3年生の嵯峨透さんと2年生の小笠原祐那さんの二人が参加し,どちらも優秀賞でした。嵯峨透さんは昨年に引き続き2度目の挑戦となりました。
 嵯峨透さんの英語弁論を,日本語訳で掲載します。

嵯峨透 演題「羽球(Feder ball)」

 こんにちは,皆さん。私を覚えていますか?昨年私はどんなに本が好きか,皆さんにお話ししました。今回私は,もう一つの夢中になっているバドミントンについて話したいと思います。
 皆さんは,有名なバドミントン選手の名前を言えますか?多分言えないと思います。バドミントンはとても人気がありますが,ほとんどの人がそのことについて多くのことを知らないと思います。バドミントンがとても厳しいスポーツだと思ってもいません。でも,間違っています。体育館内は蒸し暑く,常にシャトルを追いかけて素早く動きの方向を変えなければなりません。バドミントンはとっても素早いスポーツです。私は3年間バドミントンをやってきたので,バドミントンが楽しいけれども簡単ではないということを話したいと思います。
 どうして私がバドミントンを始めたのかお話しします。私の中学生活が始まったとき,私は先輩のプレイを見て,とても楽しそうに見えました。でも,バドミントンがどれだけ難しいのか知りませんでした。私が入部したとき,私は精神的にも肉体的にもとても弱かったです。私はみんなと一緒にトレーニングや筋トレを続けることはできませんでした。でも私はいつもチームメートに勇気づけられ,そのことについてはみんなに感謝しています。皆さんは次の言葉を知っていると思います。「みんなは一人のために,一人はみんなのために」。バドミントン部での経験で,この言葉の意味がとてもよく分かるようになりました。
 私はバドミントンを始めたとき,全くの初心者でした。何人かの生徒はスポーツ少年団で技術を学んでいたので,彼らはとてもとても上手にプレイできました。彼らはどのように試合をすればいいのか知っていましたが,私はラケットの振り方さえ分かりませんでした。私は3年間追いつこうと練習しましたが,今もなお彼らは私より技術は上回っています。今,私はもっと早くバドミントンを始めていたらなあと思いました。なぜなら,今年私は東北大会に行って,たくさんの他の選手がどんなにか私より多くの経験を積んでいたかわかったからです。
 私たちの学校のバドミントンチームはとても強くて秋田では最も強い学校の一つです。今年私のパートナーと私(ダブルスの試合)は秋田県大会で懸命にプレイしました。私のパートナーが(シャトルを打とうとして)ネットに詰め寄ったとき,私たちは20−21で負けていました。そのシャトルは彼の頭を越えて来たので,彼は飛び込みましたが届きませんでした。そして私も同じように飛び込みましたが(シャトルに)届きませんでした。私たちは準決勝で負け,私たちを負かしたチームは優勝しました。私たちは(ダブルスで)3位になったので,東北大会へ進出しました。私たちは山形へ行きましたが,とても暑かったです。体育館の中の気温はおよそ40℃ありました。私は2試合に出場しましたが,対戦相手は,私たちの能力をはるかに超えていました。彼らは簡単に勝利しました。それは私たちにとって課題でしたが,その経験を私は楽しみました。私は笑顔でバドミントンの3年間を終えました。
 バドミントンをした3年間で,私は,チームメイトとともに,たくさんの幸せな思い出とよい機会を得ました。私たちは一緒に楽しんだし,分かち合えた時間は特別でした。バドミントンをしたことで私はまた強くなりました。昨年私はこの大会で3番目の成績でした。でも(今年も)この場所にやってきました。もちろん,私の(1位になる)決心をみなさんはご存知でしょうが。
 私のバドミントンの経験はとてもよいものでした。でも,バドミントンが簡単なスポーツだなんて思わないでください。ドイツではバドミントンを「羽球(Feder ball)」と呼びます。それはシャトルが羽毛のように軽いからです。でも私はそれは世界で一番重いものだと思っています。

 
                      (訳 佐藤 心一)
 小笠原祐那さんは,「友達を求めて  (Searching for a friend)」という題で弁論しました。紙面の都合で訳文は割愛します。