大仙市立西仙北東中学校
 学校通信
   2011.1.18 No.35

 
 
冬季休業終わり元気に登校
 
 1月14日(金)から後期後半が始まりました。どの教室にも,冬の厳しさを乗り越えてきた新年にふさわしい顔が集まり,冬休み中のできごとについて,歓談していました。
 中でも,2年生の学年通信には,大仙市海外派遣事業(1月3日〜1月10日)に参加した伊藤昭人さんと進藤亜矢子さんの感想がありましたので,転載します。

  「異文化を体験して」
         2年A組 伊藤昭人
 今回,僕が行ったオーストラリアでは驚きがたくさんありました。その中で特に日本と違うなと感じた点について述べたいと思います。
 まず,ホームステイ先の家では,トイレやお風呂のドアを開けっ放しにしていることです。日本では普通ドアを閉めるのがマナーですが,オーストラリアではだれも入っていないときは,わかるようにドアを開けおくのが常識らしいのです。
 さらに,公共のトイレにも日本との違いが見られました。それは便器がなく,ただの鉄の板のようなものが壁に設置されてあるだけでした。
 他にもまだまだありますが,オーストラリアでの研修旅行は,いろんな文化に触れるよい機会だったと思います。この経験を生かして,学校生活や部活動をさらに励んでいきたいと思います。

 「貴重な体験を積んで」
        2年B組 進藤亜矢子
 7泊8日でオーストラリアに行きました。
 ホームステイ先のお宅は3人家族で,犬と猫,ニワトリ,牛を飼っていました。
 牛は家から少し離れたところに220頭いました。ステイ先の家族はとても親切でした。
 家には大きいプールもあり,遊ばせてくれました。食事は,量は多かったけどとても美味しかったです。ケアンズから1時間の所にあるグリーン島に行ったときは,水中が見えるボートに乗ったり泳いだりしました。ケアンズ市内での自主研修中,買い物の際には日本語を話せる方がたくさんいて,よく話しかけてきました。他の学校の人達とも仲良くなれて楽しかったです。
 とても貴重な体験をしたので,学んだことを生かしていきたいです。
 
 1月11日の朝に二人は職員室に帰国報告に来てくれました。その中で,伊藤昭人さんは,「オーストラリアは夏で暑くて,あちらの空港から半袖短パンで搭乗したのですが,仙台空港に着いたら,あまりの雪の多さと寒さにビックリしました。それに荷物の中に服を入れていたので大変でした。」と教えてくれました。また,二人が訪問した場所は現在大洪水の場所からやや遠いところにあり,水の被害にはあわなかったそうです。
 亜矢子さんがお話してくれたように,オーストラリアでの体験を,時々周囲の人に話したり,文化の違いについて紹介しほしいと思います。
 3年生は,1月5日から学習相談で12日まで取り組みました。各教科の課題を解く姿は真剣そのもので,集中力が高まってきました。1月17日から3日間,高等学校前期選抜入学願書受付です。2月1日に前期選抜面接等がありますので,受験勉強に加え,面接や作文についても十分に準備していかなければなりません。校長室でも,早速面接について始めています。
 面接は,各高等学校によって内容が異なりますが,国語・数学・英語の口頭試問や集団面接,個人面接,グループ面接などがあります。(各高校のホームページに記載されています。)そこで,問題になるのが,受験生の「学業面」と「どういう生徒であるか」の判断です。「どういう生徒であるか」というのは,話し方や世間一般に対する興味関心,たとえば読んでいる本の感想や現在話題になっているニュースなどからそのことについてどのように考えているか,を見ることによっておよその人柄を判断することができます。核心をつく質問よりも,受験生がどんな生活をしているかを判断することによって,その人と形(なり)がわかります。朝の読書で読んでいる本や現在話題になっているニュースに関心をもつ,すなわち私たちが住んでいる世界に少しでも興味をもつことが肝要なことだと思います。
 
古人物語 昔雑談 解読編
 
 夏季・冬季の3年生学習相談にいつもお世話になっている町内の山口弘靖氏(塾経営,刈和野在住)から,「第三回 水の目会誌 古人物語 昔雑談 解読編」をいただきました。この会誌は,阿部栄健氏(土川在住)を会長とする大仙市水の目会という古文書(こもんじょ)を解読するグループが発行した発足35年目にあたる記念誌です。見開きの右に原文が書かれており,左側に現代語で原文に沿って表記されています。凡例に「この原文は,大仙市土川の小笠原多右衛門家所蔵文書である」とありました。1ページ目には次のように書かれていました。(左側の現代語文を紹介します。)
 
   知足院様
一 天文十六年御誕生,永禄五年御家督,  御歳十六。
  天正十六子ノ年御隠居,御歳四十二,  御城常州太田。
一 慶長七寅年,常陸より当国へ御国替御下り,御歳五拾五,御左所,仙北六江(六郷)。        (以下省略)
(注一)知足院とは佐竹義重。藩主の佐竹義宣の父。六郷に居住した。
 
 この訳については,記載されていませんが,大要はつぎのようになるでしょうか。
「天文十六年(1547年)に佐竹義重がお生まれになり,永禄五年(1562年)に16歳で家督(家長)になった。天正十六年(1588年)に42歳で隠居された。お城は常州太田(現在の茨城県北東部)であった。
 慶長七年(1602年)常陸(現茨城県)より当国(秋田県)へお国替え(大名の領土を別の場所に移すこと)をし,このとき55歳であり,その場所は仙北の六郷であった。」
 このわずかな文から色々なことがわかりました。慶長5年(1600年)は関ヶ原の戦い,天文12年(1543年)は種子島に鉄砲が伝来した年,また,年齢は生まれた年を1歳と数える方式(いわゆる「かぞえどし」)などでした。古文書は地域に住んでいた人と過去の歴史がつながる貴重な資料だと思いました。ご寄贈ありがとうございました。
 
  第25回南外招待中学校    バレーボール大会 優勝
 
 
 冬季休業中1月8日に開催された標記大会で,本校は優勝を収めました。大会方式はA組4校(西仙北東,桧木内,平和,南外),B組4校(神代,大曲西,本荘東,協和・中仙)の8チームで,リーグ・トーナメントでした。
 今回優勝した勝因は,監督・部長からお話を聞くと「スパイクが打てるようになってきた」「レシーブ力が向上した」,そして「サーブがいつものように決められる人が決めた」ということでした。バレーボール部の皆さん,優勝おめでとうございます。
 試合結果は次のとおりです。
◇ 予選リーグ 3勝 
第1試合
         25−16
 西仙北東2        0桧木内
         25− 9
第2試合
         25−17
 西仙北東2        0平和
         25−12
第3試合
         25− 8
 西仙北東2        0南外
         25−20
◇ 決勝 
         25−19
 西仙北東2        0神代
         25− 7