大仙市立西仙北東中学校
 学校通信
   2010.4.14 No.03

修学旅行に行って参りました
 
○ 第1日目〜4月8日
 快晴の下、午前8時に出発式を校舎裏側駐車場にて行い、元気に学校を出発しました。大曲駅について、いよいよ新幹線に乗車。自分の席が決まっているせいか、全員スムーズに着席。
 仙台駅に11時30分前に到着。添乗員の石川さん(女性)が乗車し、全員に弁当を配り始めました。渡された弁当をおいしくいただきました。
 13時30分、新幹線で上野駅を降りて、公園前をしばし歩き、荷物を運送屋に頼み、バスに乗車しました。
 上野からディズニーランドへバスで向かいました。金色の怪しげなモニュメントが冠のようにあるビール会社の横を通り、日本一高いスカイタワーを見ながら通りました。天気は快晴、桜は満開。気温12℃。全員無事が何よりでした。
 午後2時にディズニーランドへ到着。集合写真をとり、チケット、説明パンフレットをもらって中へ入りました。ミッキーの花畑の前でグループ毎に写真撮影。その後、一斉に散らばりました。
 インフォメーションにはどのアトラクションも15〜30分待ち。こんなに短い待ち時間は珍しいです。「カリブの海賊」は改修のためお休みでした。少し残念。
 ディズニーランドも変化しました。通路に敷物を置いて地べたに座る人たちが多数出てきました。ベンチがあるのに地べたに座っていましたが、もしかして、パレードの陣取りかしら?とも思いました。それにしても不思議な風潮、ディズニーランドの風俗変化(へんげ)でしょうか。
 パレードは午後5時と午後7時30分の2つでした。7時30分の光の乱舞は時間を忘れるほど圧倒されました。昼は、浜風で少しだけ寒く感じましたが、夕方から寒さが厳しくなり、パレードはふるえてみました。
 エレクトリックパレードを午後7時30分から見て、8時10分に集合。集まってきた生徒たちに感想を聞いたら「スペースマウンテンに5回乗った。」とか「買い物だけをしていて、夢中になって、乗り物に乗れなかった。」などという話がありました。
 バスで大崎のニュー大谷インまで進みました。ミッキー、ドナルドダックの被り物を購入した生徒が多数おり、ディズニー軍団の様相でした。
 午後9時にホテル到着。午後10時30分に教師最終ミーティングを終え、11時に消灯、見回りをしました。
 翌日、齋藤佳子先生からお話を聞くと、本校生徒の向かい側に宿泊した若者たちが、午前2〜3時まで大きな声で話しており、ホテル側に部屋のドアを閉じてくれるようお願いしたそうです。この他にも、外国人と見られる部屋から廊下に、大きな話声が聞かれ、結構元気のいい宿泊客がいました。
 ホテルの部屋は、乾燥しており、私は、珍しく何度も意識が戻った浅い眠りでした。まずのどがカラカラで、エアコンを止め、バスタブに水を張りました。目覚まし(携帯)が午前5時20分になり、それからうとうと1時間でした。
 
○ 第2日目〜4月9日
 7時起床。生徒は、8時前には全員朝食会場に集まり、バイキングを味わいました。皿に山盛りの生徒がほとんどで、メニューは、卵焼き、ウィンナーソーセージ、ベーコン、スクランブルエッグ、ポテト、レタス、ミニトマト、コーン、フルーツポンチ、梅干し、漬物、海苔、オレンジジュース、牛乳、ご飯、スープ、食パン、ロールパン、ジャム、などでした。ご飯を食べ終えたらテーブル毎に食器をまとめていました。これはさすがでした。
 朝の会では、昨日の反省としてディズニー研修が時間通りに行う事ができて良かった、とありました。本日の班別研修も計画通りに行いたい、でした。添乗員の照井さんからGPS付きのPHSの使い方を説明されました。また、井上先生からは、自由行動の諸注意、そしてはぐれてしまったときの対応やトラブルに巻き込まれてしまったときの対応について説明を受けました。
 午前9時、ホテル1階の本部からチェックを受けて、A組6班、B組6班、計12班が事前に立てた計画に従って行動しました。
 最初の訪問地は、「葛西臨海水族館」「湯島天神」「浅草寺」「秋葉原」「芝公園」「渋谷」「上野」「ジブリ美術館」「北の丸」で、上野方面が多かったので、私は、山の手線で上野を目指しました。
 大崎駅では、本校の生徒全員が切符販売機に並び、駅員さんに説明を受けていた生徒もおりました。
 私は、6班(A組)と一緒に電車に乗りました。6班は浅草寺を目指していたので、班員に聞くと「神田で降りて、メトロ銀座線で乗り換えです。」と明確に答えてくれました。彼女たちは、神田で降りて、浅草寺まで行き着くことができたようです。私は、上野公園内にある西洋美術館で、フランク・ブラグィン(1867〜1956)の作品を少しだけ鑑賞しました。その後、東京に回り、再び上野に戻り、アメヤ横丁を歩いてみましたが、生徒たちと会うことはできませんでした。
 午後4時頃に、大崎のホテル1階本部に戻ったところ、パソコン上で全員の動向を把握している照井さんと齋藤先生がおりました。石川先生、井上先生も戻っており、2〜3の班は、予定よりも早く帰ってきてホテルの部屋で休んでいる、ということでした。
 全員集合が、5時30分でしたが、どの班も1分も遅れることなく全員無事にホテルに帰ってきました。
 問題発生のときのみ私たちの携帯に呼び出しがかかり現場に直行、というシステムでしたが、一度も電話がかかってくることがなく、無事に終えた自由行動でした。
 興味別研修では、東京ドームで巨人ー中日戦観戦が44名で、かたや20名はライオンキング鑑賞でした。
 東京ドーム巨人ー中日戦は、3回裏巨人の攻撃のとき入場しました。席は40番ゲートから入って、ほとんどてっぺん。見晴らし最高の席でした。すでに巨人は3点をとられ中日を追う展開。4回表に2点とられ、0−5の4回裏にビッグチャンスが訪れました。シングルヒットの連打でまず1点。二人走者を置いて巨人4番小笠原が、初球高めをフルスィング。球はライト方向へ、きれるかなあ〜と大歓声の中、一塁側ポールに命中、3ランとなりました。5回以降も双方にチャンスは訪れましたが得点できず。私たちが帰ろうと階段を下り始めた9回表委に中日がヒットで1点、ホームランで1点、結局4ー7で巨人が負けました。
 ライオンキング班は、出だしから一気にアフリカンワールドに突入。午後6時30分スタート、途中分間の休憩、9時20分に終わるまで、時を忘れるほどに浸ったミュージカルでした。
 ホテル帰宅が双方とも10時前後で、そのまま各部屋に直行しました。どちらの研修もかなり興奮したようで、各部屋からは前日とは異なる大きな笑い声や弾むような声が聞こえてきました。それでも、11時過ぎには、どの部屋も静かになりました。
 
○ 第3日目〜4月10日
 9時30分開館の国会議事堂に9時に到着。30分待って衆議院本会議場で10分間説明を聞きました。国会議事堂は大正9年から着工し、昭和11年11月に完成。17年間かかりました。建築費用は、当時のお金で2570万円。工事延人数254万人。ホテルも乾燥していましたが、国会議事堂も乾燥していました。外は快晴、で喉はカラカラでした。国会議事堂前で記念写真を撮影してから江戸東京博物館へ向かいました。
 江戸東京博物館は11時〜11時55分まで。企画展示は脚本家の歴史でした。賞をとった「淋しいのはお前だけじゃない 市川森一」これは次回の読み物にしたいと思いました。11時30分から琴と尺八の演奏があり、「おぼろ月夜」の尺八、「花」の合同演奏など見事でした。どちらも23歳の大卒ギャル、尺八が袴、琴が着物と決まっておりました。
 12時に全員集合し、ちゃんこ鍋料理屋に徒歩で向かいました。鳥ちゃんこ鍋を最後のオジヤまで平らげて生徒たちは満腹でした。
 13時30分に両国を出てバスで上野まで向かいました。上野駅で最後のおみやげ買いをして、午後3時の新幹線に乗り、途中仙台で添乗員の石川さんとお別れし、その後は、一気に大曲に6時半頃到着しました。学校には7時前に到着し、解散式を行い、7時20分頃までには生徒全員のお迎えが終了し、楽しい2泊3日の修学旅行が終わりました。